2011年9月19日月曜日

人生にリセットボタンはないが社会にはある(べきだ)

おはようございます。

今日はちょっと愚痴のようなものを。

今の社会が生きにくいと感じている人、多いと思います。私もその一人です。

足の引っ張り合いをする政治家や先の見えない不況による閉塞感、きちんと働く人を軽んじる税金政策と、それと裏返してあるような社会的弱者に対する厳しい視線…

要は国として、そこに住む人として方針が定まってないんだと思います。

特に今の自分の身につまされる思いがするのが、ドロップアウトした人間をすくい上げる十分な機能が社会に備わっていないこと。

いまだに中学校、高校を卒業したら大学に行き、そのあとは就職して…という社会の敷いたレールがあり、そこから外れてしまうと、社会的な地位がないに等しい、そんな状況だと思います。

もちろん、そこで人は人と割り切って頑張る人もいるのですが、そうでない人もいる。人間は弱く、弱い人間ほどこの間隙に落ち込みやすく、落ちてしまうと強い人間しか這い上がれない。

そろそろ変わってもいい頃ではないでしょうか。

国が変わり、人が変わり、多様な生き方を受容でき、社会的柔軟性を作り、生まれて、価値観が変わり、今私の書いた文章の中にも含まれていた上下高低の概念が、ただ場所の違いになる。お金や利便性、時間の短縮が共通の使用通貨となるのでなく、それぞれが独自の価値観で通貨を鋳造し、交換すること自体、理解しようと努めるその行為自体に意義と価値が生まれる…

そんな考えは夢物語でしょうか。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
Chartres 大聖堂の床に描かれた紋章

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