2011年9月23日金曜日

『ムントゥリャサ通りで』

おはようございます。

最近は Facebook を読書日記代わりに使っていて、こちらでは読んだ本の感想をあまり書いていなかったのですが、久しぶりに読み返した表題の作品があまりに素晴らしかったので、ちょっと長めの文章を書きたいと思い、こちらに書くことにしました。
*普段と違い、自分のためのまとめのようなものでもあるので、かなり長い文章になっています。

それにしても面白い。

ごく簡単にあらすじのようなものを書くと、かつて小学校の校長だった老人が、かつての教え子である政府高官を訪ねるところから物語が始まる。そこでのやり取りを怪しいと思った警察が、翌日老人を呼び出して話を聞き出そうとするが、その語りがなんとも筋道のはっきりしない代物。警察が「Aの話を聞きたい」というと、老人は「そのためにはBの話をしなければAは理解できない」といってBの話を始めるのだが、そのBの話を理解するためにはCの話が…という具合にひとつの筋が何本にも枝分かれして広がっていく。つまり、明確なあらすじはないようなもの。

そこで小説の構造を理解することが大切になるのだが、まず語りの構造はというと、

① 老人の住む現実世界を描写する物語
② 老人が警察に呼び出されて語る物語
②´ 老人が供述書として原稿に書き付ける物語
③ 老人の記憶の中の人物が語る物語

という三層+αになっているといえる。
まあこれだけならばそれほど特異な小説とは言えない(『千夜一夜物語』はまさにこの入れ子構造の代表的な作品)と思うのだが、この小説の白眉は読者もまた多層的に構成されているということで、

ⅰ.自分の書いた原稿(記憶)を読み直す老人
ⅱ.老人の書いた原稿を抜粋して読む何人もの警察
ⅲ.老人の行動、警察の行動を読み取ろうとする人間
ⅳ.それらが書かれた『ムントゥリャサ通りで』という作品を読む人間(=読者)

という四層になっていると考えられる。

そしてそれぞれが知り得る情報というのがばらばらで、なおかつ「自分の知りたいこと・隠したいこと」を関心の中央に据えるために、自ずとそれぞれに重なり合い、欠如が生じる。

例えば、②の位相で老人を呼び出す警察は、老人が書いた②´の原稿を読んではいるのだが、あまりに長大なので全部には目を通していない。また、そもそもその原稿自体が終わりにまで達していない。そのため、老人を直接呼び出して、自分の知りたい部分だけ知ろうとするのだが、最初に書いたように「AのためにはB、BのためにはC」という入れ子構造に嵌ってしまい、知ることができない。そこに①の現実の位相が介入してきて、面談は中断される。

読者においても同じようなことが言える。老人の書く物語の全体を読みたいと思っても、②´の老人の原稿を手にすることはできず、②の位相で語られる言葉で、もしくは②の中で語られる③の話で満足するしかない。

こうした語り手と読み手の多層構造に支えられて、物語られる時空も多層的に展開される。

a. 現在の街とムントゥリャサ通り(社会主義政権下のルーマニア)
b. 老人の語る子供たちの暮らした街(1930年以前。約10年の幅がある)
c. 子供たちに由来する過去の街(およそ200年の幅)
d. 他の場所(山や別の街)【注】
x. 「こちら」の世界に対する「あちら」

【注】d.はb.の次元において物語の発生装置として機能しているので、時間的にはb.と等しい。

この小説の、あるいは老人の語りの核心はb.の次元で子供たちがx.の次元を発見しようとする、そしてその秘密の一端に触れることによって発生する数々の出来事を記述することにあるとひとまずは言うことができる。

これは探索の物語である。

警察は老人の語るb.の中に自分たちの知りたい情報を求め、
老人は子供たちの現在時a.での消息を求め、
そしておそらくは自分もその一端を知ったx.の「神秘」を知りたいと欲し、
b.地点の子供たち、またc.地点の大人たちはx.の神秘を知ろうと躍起になる。

では、その「X」はどこにあるのか?

ムントゥリャサ通りの水のたまった地下室、「しるし」のある場所にそれは存在する。ただしその神秘に触れたものは決して「こちら」側に戻っては来れない。その不回帰性。

対して現実は回帰的だ。

x.の世界の探求を突き詰めた先になにがあるのか?そこにa.の世界、現実の、陰謀や裏切りの渦巻く生々しい「こちら」の世界を置くあたりに、作者エリアーデのシニシズムを感じ取れなくもない。

だが、この小説ほど「子供の世界が大人の世界にダイレクトに繋がっている」という感覚に確信を与えてくれるものはないだろう。

子供の頃に垣間見た「神秘」が、大人になって「陰謀」に変わっているとしても、存在が許されなくなったわけではない。私のそばにある、君のそばにある、誰のそばにもある。「神秘」の探索は、世代を越えて続けられる長い長い遊戯なのだ。

それにしても、「神秘」の一端を垣間見せる描写は魅力的。空に放たれたままいつまでも戻ってこない矢、1mに満たない水溜りに消える少年…。

多層的な語り・読みと時空に隠された神秘を探す旅。わずか150ページほどの中篇ですが、その中に無限を感じさせる、まさにエリアーデの現実世界が見事に現れていると言えるでしょう。

非常な長文でした。もしここまで読んでくださった方がいらしたら感謝します。次回からまた普段通りのものを書きたいと思います。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
アヴィニョンにて。特に言うことはない


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